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天童木工について

 株式会社天童木工は、山形県天童市に本社を置く、家具・インテリア用品の設計・製造・販売を行うメーカーです。2013年現在、資本金3億円、従業員数は350名です。天童木工の社章は成形合板のしなやかな曲線をシンボライズしたものになっています。  創業は1940年、旧天童町ほか10ヶ村の大工・建具・指物の業者が集まり、「天童木工家具建具工業組合」を立ち上げたのが発祥になります。発足当初の主な製品は軍需品でした。終戦後は、組合員が手持ちの資材を持ち寄り、戸棚・飯台・流し台などの製造から再出発しました。  天童木工には、皇室を始め、官公庁や上流ホテルに多くの納入実績があります。この端緒としては1953年・愛媛県民会館の客席1,400席、および1958年・静岡県体育館客席3,000席の大規模納品に成功した事が挙げられます。この二例の客席は、いずれも成形合板(プライウッド)を用いて製造されました。  天童木工の成型技術は現在のハーマンミラージャパン社の前身であるモダンファニチャーセールス社にも認められ、1960年代から70年代にかけては、天童木工はモダンファニチャーセールスの依頼によりイームズ夫妻がデザインしたラウンジチェアやダイニングチェアの背板と座板を製作しています。天童木工の成形合板は高い技術力が評価され、天童木工は本国アメリカのハーマンミラー社からも技術的なアドバイスを求められるようになったといわれています。   天童木工には苦難もありました。例えば1952年、当時天童駅前に構えていた天童木工本社工場が全焼する大火災があったのです。工場・機械・資材は焼き尽くされ、全てを失ってしまった当時の社員達は、呆然と立ち尽くしたといいます。しかし、新幹線も高速道路もなかった当時に、東京の取引先が「これで再建してください!!」と、多額の現金(売掛金)を持参したそうです。これを深々と受け取った当時の経営者らは、この恩に報いるため、工場再建と、更なる技術の向上に邁進する事を誓いました。大火災から4年後の1956年、天童木工はこの誓いを果たすかのように、「バタフライスツール」を世に送り出し、世界に羽ばたいていったのです。  『木製品であれば何でもつくる。』日本の匠から始まった天童木工は、木製家具の一大ブランドとして名声を培っていきます。

天童木工とデザイナー

 天童木工は日本の家具メーカーとしては珍しく、早い段階から社外の家具デザイナーを起用し、半世紀近く販売し続けている製品もあります。  主な製品を並べますと、 ・バタフライスツール(柳宗理) ・低座イス(長大作) ・柏戸イス(剣持勇) ・安楽椅子(松村勝男) ・ローコストチェア(松村勝男) ・モンローチェア(磯崎新) ・ハイバックチェア(ブルーノ・マットソン) ・イージーチェア(丹下健三) ・安楽イス(黒川紀章) ・スポークチェア(豊口克平) ・ムライスツール(田辺麗子) ・マッシュルームスツール(ヤマナカグループ) ・オリヅルチェア(奥山清行) などが挙げられます。  天童木工は時折りデザインコンクールを開催しており、入賞作品の製品化を手がけています。中には、「デザインが秀逸なものの、技術がコンクール時に確立しておらず製品化見合わせ、その後40年を待ってようやく製品化を果たした」といった事例もありました。上記のうちのマッシュルームスツールです。  デザインと木工技術とが車の両輪のように互いに刺激を与えあい、天童木工の作品は発展していきます。

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